北海道旅行記・2005年9月4〜5日


6〜7日目の行程
5日目函館→(特急白鳥)→木古内→(鈍行)→江差→(鈍行)→木古内→(寝台特急日本海)→京都

1.函館→木古内

5時半に部屋にある時計のアラームが鳴り響いた…。前の客がセットしたのだろうか、迷惑な話だ。7時半に起床。コンビニで段ボール箱をもらい、いらない衣類やおみやげ、パンフレットなどを詰めて、宅急便で京都に送った。これで大きな鞄の中が軽くなった。

9時前にホテルを出た。これから函館で泊まる時はここにしよう。荷物を持って朝市へ。大きな荷物を持っているので旅人だと一目で分かり、あちこちから声を掛けられまくる。メロンを売っていたおばさんには「お兄さんはメロンを買うんだよね?え、違うの?」などと言われたw。まず乾物を売っている店でほたて貝柱を購入。貝柱の干物はとにかく高い。大きくて形の綺麗なものであれば、ほんの少しでも数千円になる。だが割れていても味は変わらないので、私は割れているものを買った。だが75グラムで750円。次いで生鮮品を売っている店でうにといくらと松前漬けを購入。クール宅急便の費用を合わせて6000円にしてくれた。ちなみに今回の旅行では総費用(切符代も含める)の5分の1以上がお土産代。去年多く買ったから、今年は少なめに買ったのだが、それでもけっこう高くついた。だがここはケチるところではないからなあ。

買い物を済ませてからきくよ食堂で食事。ほたて・うに・いくらの巴丼を食べた。それぞれの具のうまさは言うまでもなく、最後の方にうにといくらが混ざってきて、2つを同時に口に入れるのは何とも言えない幸せ。口の中に余韻がしばらく残った。ほたて・いくらは函館でとれたもので、うには積丹でとれたものだそうな。朝市では何人かの人と少し会話したわけだが、函館の人は青森から渡ってきた人が多いのか、所謂東北弁に近い喋りをする人が多い。しかし道東や道北に行くと、内地(本州以南)からの移住者が多いため、特に方言的特徴はみられない。ちなみに「内地」というのは北海道の人が使う言葉。それ以外にも北海道の人はJR線を「汽車」と言う。今年は北海道の人が汽車という言葉を使っているのを聞くことはなかったが、去年は厚岸駅のキオスクのお姉さんが「汽車」と言っていた。

駅から少し離れたキオスクで追加のお土産を買い、10時20分頃に函館駅のホームに入った。2番線には団体列車と称したキハ40の4連が止まっていた。8番線に止まっている特急白鳥18号八戸行きに乗車。列車は改造された485系の8連。2号車と3号車が自由席で、喫煙自由席の2号車はがらがらだった。定時の10時40分に函館駅出発。函館駅構内にはJNR(日本国有鉄道)マークつきのボンネット型キハ183系やキハ56形急行列車(4年前に廃止)、真っ黒のディーゼル機関車DE10が留置してあった。 白鳥18号は青函トンネル記念館見学コースの乗客が乗る列車(04年北海道旅行記参照)で、その放送が何度もなされていた。函館駅を10時40分に出発。木古内までは海沿いを進む。

2.木古内→江差

木古内には定時の11時19分に到着。すぐにホームを移動し、江差線の江差行き122Dに乗る。列車はキハ40の単行。11時半の出発時にはボックスシートは全部埋まっていた。だが車内は年寄りが多い。登山でもするのかなと思われる客もいた。江差線の木古内−江差間は乗客が激しく少なく、次に廃止されるのはこの区間だろうと言われているが、意外だった。日曜日だからかもしれないが…。

木古内から吉堀までは少し家があったが、そこからは山の中を通る。峠を越えて檜山支庁に入り、神明駅で少し乗ってきた。その次の湯ノ岱駅は交換駅で、駅員さんもいる駅。桂岡駅あたりからようやく人家がちらほら見えるようになってきた。1時間余りの道のりで、終点江差駅に到着。そしてこの駅の到着をもって、北海道のJR全路線を乗り終えた。

江差駅前は閑散としているが、江差には檜山支庁があり、奥尻島への船も発着しているので、そこそこの規模の街。歩いて港の方へ行ったのだが、スーパーやコンビニなどもそこそこあるようだ。港の近くにある津花館というレストランで食事をした。食事が出てくるのが遅いのには閉口したが、雰囲気も景色も良いレストランだった。

レストランから少し歩いたところにかもめ島という島(砂州でつながっている)があり、そこへ行ってみた。下の方が波で削れた岩などを見ながら、ベンチで休む。静かな日本海を眺めながら高校時代の副担任の話などをした。それから開陽丸(沈没した徳川軍艦・現在は復元されたものが展示してある)の入館受付にある休憩所へ。Hisakazuがソフトクリームを食べている間、江差観光を調べるためのパソコンを使って少しネットをした。江差は江戸時代から和人が入り、明治時代にはニシン漁で栄えた。そのため、町並みが本州っぽく、北海道らしさはない。

こうやってゆっくりと北海道最後のひとときを過ごし、午後3時頃に駅に向かって歩き始めた。途中のコンビニやスーパーで酒を購入。駅に着いたのは列車が入ってくる15分ほど前の3時45分ごろだった。駅に着いて荷物をおき、江差駅のホーロー製駅名標や線路の写真を撮りながら、全路線に乗った自分にについて考えた。たしかに「完乗」したが、それは現在残っている2500キロを乗ったに過ぎず、廃止された1500キロには乗っていないし、それ以前に乗ることはできない。それなのに「完乗」を名乗ることができるのだろうか。そして、とりあえずは完乗したこれからは何を目的に、何を基軸として旅をしていけばいいのだろう。もちろん廃線跡を訪れたいとか、秘境駅に行ってみたいとか、したいことはたくさんある。だが何か自分の中で指標となるものを見つけたい。そんなことを考えながら、「北海道乗りつぶしの旅」の終点駅を見つめていた。

3.江差→京都

午後4時7分ごろに木古内行き4177Dが入ってきた。列車はキハ40の単行だが、窓が二重窓になっていた。江差まで来る時の列車は二重窓ではなかった気がする。プレートは「江差←→木古内←→函館」という表記になっていた。車内はボックスシートがほぼ埋まっていた。江差から1時間で木古内に到着。途中、けっこう寝ていた。木古内駅では少し時間があったので、駅の外の様子をうかがってみたが、何もなさげだった。5時25分頃、駅員さんが大阪行き寝台特急日本海の改札を始めますとアナウンス。小さな駅なので放送ではなく、肉声で充分待合室に伝わる。それからしばらくしてから改札内に入った。改札に入るには今まで使っていた周遊きっぷのゾーン券に加えて、かえり券と寝台特急の特急券を見せる。てかこんな駅にもLEDの発車案内があってびっくり。やはり特急が多数止まるからか。ホームの上から眺めているとED79の重連に引かれた貨物列車が青函トンネル方面からやってきて止まった。日本海のすれ違い待ちか。

ホームに下りてしばらくしてから寝台特急日本海4号が入線してきた。機関車はED79-2。客車は4両だけで、青森で4両をつなぐ。ここ木古内からは私たちを含めて5人ほどが乗車。ここから大阪行きの寝台特急に乗る人がいるのがびっくり。私たちの乗っていた車両は木古内出発時点で10人ほどが乗っていた。列車に乗ると青函トンネルに入る時間、吉岡海底・竜飛海底駅を通過する時間、トンネルから出る時間のアナウンスがあった。それに続いて青函トンネルについての説明などがあった。午後5時52分に青函トンネル入り、6時6分に吉岡海底、21分に竜飛海底を通過し、34分に本州に出た。青函トンネルの底(青と緑?のライトがついている)を通過したのは6時12分だった。

青森駅で機関車のつなぎ換えと、客車の増結が行われるので23分停車。この時点でけっこう酔っており、改札外のコンビニまで走って酒やつまみの追加買い出しをした。その後も酒を飲み続け、午後9時過ぎにはビール1本と日本酒4合を空けてしまった。東能代を発車した後、翌朝の加賀温泉駅まで車内放送停止。その頃にゴミを捨てて寝てしまった。

目が覚めたのは午前4時頃、直江津駅。洗面台で歯磨きをしていると車掌さんが通り、おはようございますと挨拶。気持ちよい目覚めだと思われたのかな…。車内では盗難が起こることもあるので、車掌さんは寝ずに巡回をしているのだろう。ご苦労様なことだ。その後はしばらく寝られなかった。富山・金沢あたりでかなり下車した。北海道・東北と北陸は飛行機の便も悪いので、日本海がよく利用されているのだろう。寝台特急が激しい衰退の一途をたどっている中、日本海が2往復残っている理由に納得。

ちゃんと起きたのは敦賀を過ぎたあたり。福井から車販が乗車していたが、Hisakazuが声を掛けた時にはサンドイッチやおにぎり類は売り切れており、駅弁しか残っていなかったようだ。てか朝から駅弁食う人がいるのかな…。朝のすがすがしい琵琶湖畔の景色と、酔いは覚めているものの胃が重い私の心境は対照的だった。敦賀出発時点で私たち以外に同じ車両に乗っているのは1人だけ。大津のトンネルを越えて山科にはいると「あと数分で東山トンネルに入り、京都に到着します。お降りの方はご準備を」と放送が入り、定時の9時23分に京都駅到着。新快速などを待っている人から好奇の目で見られながら、1週間ぶりに京都に戻ってきた。

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